聴覚障害者

仕事や生活などでよく見る手話、実は禁止していた過去がある!?

このサイトでは手話の歴史についてを深く学べられるところです。もう一つ、手話についての記事を書いています。こちら

こちらの記事も「手話の歴史」について供述していますが、この記事では、より深い歴史を学べるところです。

言い換えれば、戦った高校生ら、ろう者(聴覚障害者)の教師が「手話禁止」と戦わなければ、今も手話禁止だったかもしれません。それぐらい、聴覚障害者にとっては手話が重要です。というより、手話がなければ生きていけないと言っても過言ではないでしょう。

健聴者、聴覚障害者に問わず、いろんな人に知っていただきたい手話の歴史です。読者のあなたが健聴者であれば、手話の歴史を深く理解していただいて、聴覚障害者のために手話を覚えようというきっかけになれば、非常に幸いです。

とあるろう学校で手話禁止の中での生活

今では、手話サークルやろう学校などで毎日当たり前のように手話を使っています。しかし、昔、手話禁止されていました。

全国各地で禁止されていましたが、ここでは、とある学校で手話禁止の中での生活について紹介します。

(※)これから供述する手話の歴史はとある学校の高3の方々とろう者の先生が登場します。内容は一連で紹介します。

手話禁止と戦う高3の勇者の方々とろう者の教師

とある学校で、卒業を控えている高3の方々が授業中で手話を使うと、教師に「手話を使うな!」と怒られる、それぐらい手話禁止されていました。さらに授業中は口話です。

板書に内容を書きながら口話で説明されます。高3の方々はノートに写しますが、板書に書いたとおりでした。実際は「授業内容わからなかった」と愚痴を言い合います。

とあるときに掃除の時間で手話で盛り上がります。すると、廊下に渡っていた二人の教師に窓から見られ、「手話を使わないで!と言ったでしょ?」「手話使うと口話が下手になるじゃん」と説教されます。

しかし、高3の方々が「手話使わないとわからないよ!」「手話使ったらだめなの!?」と強く言い返します。しかし、納得のいく話し合いにならなかった。

しかし、口話を使う教師の言葉を理解できたのかいうと、健聴者の学校から、とあるろう学校に転校してきたので、口話読み取れたのです。

その中でろう者の教師は唯一の理解者で、高3の方々と他の教師に見られないように手話を使って会話しました。

プールでの事件

プール掃除しようと、水が出なかった。

教頭先生が、「藤田先生(仮名)、水道局に申し込むの忘れたのか」と怒鳴ります。その先生は、出張らしく、午後に戻るとのことで、確認することにしました。

しかし、放課後、プールの前に通りかかるところ、藤田先生が普通に水を使っていたのです!!!

すると、藤田先生が「お前ら、さぼってるのか!?」と怒鳴られました。

しかし、高3の方々は「聞いてない!」と訴えますが、「やれよ!」とります。

仕方なく、掃除を手伝うことに。

ここは聴覚障害者の私の推測になりますが、管理者の藤田先生が高3の方々に伝えていた可能性があるかもしれません。しかし、口話で済ませようとしたために伝わらなかった可能性もあります。

話し合いの要請

毎日のように手話を使うな!という教師たちに対し、話し合いを要望しました。

しかし、教師たちは「今忙しいから夏休みが終わったあと」と言われます。信じた高3の方々。

夏休みが終わり、しかし、話し合いは応じませんでした。むしろ、「体育祭の準備で忙しいから、終わった後」と言われます。

体育祭が終わり、しかし、話し合いは応じず、「文化祭が終わった後」と言われます。

その繰り返しでした。

そこで高3の方々は思いついたのです、文化祭で手話の大切さを伝えようとしました。そこで自分たちで劇のセリフなどを作り、猛特訓しました。

その効果は教師たちの一人の教師が態度が少し変わりました。手話の大切さが伝わったようでした。

僕の推測になりますが、教師たちは「手話禁止されているから覚えても意味がない」と思ったかもしれません。

聴覚障害者協会に応援要請

悩んだ高3の方々は、聴覚障害者協会の事務所へ行き、相談します。すると、放った言葉は「よく来てくれたね。全力で応援します」とのことでした。

高3の方々は喜んでいました。聴覚障害者協会の方々とともに文厚いほどの資料作成し、それを校長、教育委員会に提出しました。

その結果、変わりはありませんでした。手話を使うな!と罵声を浴びる日々でした。

効果がない、と悩んだ高3の方々。すると、ろう者の教師が心配で教室に来ました。

そのろう者の教師は高3の方々にとっては唯一の理解者です。とはいえ、ろう者だから、気持ちはわかってくれています。

高3の方々の努力を冷たい目で見る教師、見守るろう者の教師と分かれました。

写生会に不参加する高3の方々

イベントの写生会があったのですが、卓球大会などの予定があり、参加ができません。高3の方々が教師たちに訴えたのですが、「来い!」と言われます。

そこで高3の方々は考えたのです。「写生会は不参加にしよう!その代わりに。。。」

何をしたのか言うと、ビラ作成していました。

その内容は手話は命、この学校は良くない、などを訴える内容でした。

作成をして何をするのかいうと、賢い人は気づいたかもしれませんが、そう。ビラ配りです。

写生会不参加してまで、学校の周りで高3の方々がビラ配りしていました。

写生会現場で待っていた教師たちは「みんな来ないなぁ」と疑問を持ちます。とある教師が慌てて駆けつけて、「学校に来ています!!」と報告して、教師たちは急いで学校に戻ります。

ビラ配りしているところを見た教師たちに没収されます。

そうです、写生会に不参加してまで、ビラ配りをしていました。しかし、不参加という選択は正解だったと言って過言ではありません。それが手話禁止ではなくなったというきっかけになったからです。もし、ビラ配りされてなかったら、今でも手話禁止されていたでしょう。しかし、すぐ学校は考えが変わりませんでした。

卒業式

卒業を控えた前日、教頭先生が答辞で高3の方々のうちの代表者に「手話を使うな」と言います。しかし、代表者は「そんなの困ります」と言いましたが、「ダメだ!使うなら卒業式中止とする」と言われました。

諦めることにしました。

迎えた、卒業式当日。

卒業生答辞の時間になり、代表者が舞台の上に立ち、両手を持って答辞を読み上げようとします。その時教頭先生はこう思ったのです。両手で持つから手話は使えないだろうなと。

しかし!

卒業生のうちの4人が席を立ち、舞台の前に立ち、在校生ら、保護者のほうに向きました。

一体何をするのか!?と教頭先生はパニックになりました。しかし、校長先生が「やめろ!みんな見られているから恥ずかしい」とパニックになっている教頭先生を止めました。

何をしたのかいうと、答辞している代表者の言葉を卒業生のうちの4人が、答辞の代弁として手話で説明しました。1人1人交代しながら。

そこで思ったのではないでしょうか。聞こえないのにどうやってできるのかと。

実は唯一の理解者であるろう者の教師ともう一人の理解者がいたのです!!

名は田伏先生(仮名)です。手話もできるので、みんなが座っている中で席を立ち、遠くから、スピーカーに合わせて、手話で4人に伝え、卒業生のうちの4人が、田伏先生と合わせて手話表現しました。

手話ダメだ!と言われたのに手話使うのかというと、実は教頭先生の言葉にありました。

「手話を使うな」と言われたのは代表者だけです。つまり、代表者以外は使ってもいいということですよね。

だから、使ったのです。

本当の卒業式

答辞の内容は、学校で手話禁止などで罵倒された内容、手話禁止なくしてほしい、内容でした。

しかし、卒業式で終わりではありません。卒業生らが急いであるところに向かいました。

どこへ行くのかいうと

教育委員会です。

教育委員会会長のところに行き、校長先生を変えてくださいと訴えました。

これで卒業生らは「卒業終わったぁ!!」とガッツポーズします。

最後まで読んでいただきありがとうございます。この内容は映画「卒業スタートライン」聾宝手話映画 監督 谷 進一のホームページです (fc2.com)から一部引用しています。

詳しくはDVD購入もできるので、よかったら見てみてください。

手話の大切さをより深く学べる映画になっています。

映画「卒業スタートライン」を見ての感想

先輩たちのお話で手話禁止されていた時代もあったとは知ったのですが、とある高3の方々、ろう者の先生もこんなに頑張っていたと感動して、より手話が使えることに感謝できた作品でした。

手話のおかげで聴覚障害者の私たちは言葉などの習得もできます。「手話は命」だという表現もありますが、聴覚障害者の私も100%同意です。

手話のおかげで言葉も習得もできるので、この記事に書けるわけです。もし、今も手話禁止されていたら、この記事を書くことはなかったかもしれません。

改めて、手話禁止と戦ってくれた皆さんに感謝しながら手話を使います。

まとめ

手話禁止時代があったと初めて知った方々がいたかもしれません。

手話禁止と戦うということはそれぐらい手話が大事なんです。確かに口話もできる聴覚障害者もいますが、手話が一番です。聴覚障害者の私も鍛錬によって少しは口話できますが、手話が一番です。

どこでも手話が一番です。筆談もそうですが、手話が一番です。

高3の方々とろう者の教師も手話禁止と戦ったことで世の中を変えたのです。しかし、まだまだそんなに手話を広めてないのが現実です。聴覚障害者の私も手話を広めるのを貢献を引き続き頑張ります。この記事をきっかけに手話を覚えようという気持ちになれば非常に幸いです。かくkしょぎぎ